長く使われてきたサービスの画面を新しくすると、決まって反発の声が上がる。「前のほうがよかった」「どこに何があるのかわからない」。つくる側はそれを予想していて、多くの場合はしばらく待つ。数週間もすれば利用の数字は戻り、声も静まっていくからだ。だが、あの声を上げた人たちは、いったい何を守ろうとしていたのだろうか。
ありがちな答えは、それを「慣れの問題」とみなすことだ。人は変化そのものを嫌う。だから新しいものが合理的であっても、はじめは拒まれる。この説明には一理あるし、反発のたびに設計を元に戻していたら何も変えられない。だが、反発をただの慣れとして待つかぎり、声のなかにあったかもしれない中身は聞き取られないまま消えていく。変化を嫌う人は、変化そのものではなく、変化によって失われる何かを拒んでいるのではないか。以下、家族の記録、現場の学習論、政治思想という三つの棚から、この問いを考えてみたい。
「抵抗する人」と呼ぶ前に──『ネット右翼になった父』
『ネット右翼になった父』は、亡くなった父がなぜ変わってしまったのかを、息子である著者が追いかけた記録である。晩年の父は、差別的なことばを口にするようになっていた。著者はそれを、父が「ネット右翼」になったのだと受け止めていた。だが父の死後に記憶をたどり、家族や父を知る人の話を聞くうちに、そのラベルは少しずつ剥がれていく。現れてくるのは、ひとつの名前では括れない、矛盾を抱えた一人の人間である。
著者がこの追跡で向き合ったのは、父だけではない。ラベルを貼ることで、父の話を聞かずに済ませていた自分自身でもある。デザインの現場にも、反発する人に貼られるラベルがある。「変化を嫌う層」「声の大きい一部のユーザー」。こうした呼び名は、相手を説明するように見えて、実はつくる側を守っている。そう呼んでしまえば、声の中身を聞かずに先へ進めるからだ。ラベルを剥がしたところで、反発が正しいとわかるとはかぎらない。それでも、その下にいる人が何を失おうとしているのかは、剥がさなければ見えてこない。
熟練者を初心者に戻す──『学習の生態学』
『学習の生態学』は、福島真人が、学習という営みを頭のなかから外へ連れ出した一冊である。原発の制御室や医療の現場でのフィールドワークをもとに、人が仕事に熟達していくさまが描かれる。そこで見えてくるのは、熟練がひとりの頭にしまわれた知識ではないということだ。計器の配置、手になじんだ道具、同僚とのやりとり、くり返されてきた小さな工夫。熟練はそうした関係の網の目に宿り、網の目とともに育っていく。
この見方に立つと、リニューアルで失われるものが具体的に見えてくる。長く使ってきた人の手際は、その人の能力であると同時に、古い画面との関係のなかにある。画面を変えれば網の目がほどけ、手際もいったん失われる。昨日まで頼られていた人が、今日はほかの人と同じ初心者に戻される。反発の声がしばしば、いちばんよく使ってきた人から上がるのは、そのためではないか。その人たちは新しい画面の不便さだけでなく、自分の熟練が無効にされることに抗っている。慣れの問題と呼んでしまうと、この喪失の大きさは見えなくなる。
守るために変える──『保守主義とは何か』
『保守主義とは何か』は、政治学者の宇野重規が、保守主義の来歴をたどり直した一冊である。出発点に置かれるのは、十八世紀イギリスの議員エドマンド・バークだ。バークはフランス革命の急激な進歩主義に強い違和感を抱き、その批判から、のちに保守主義と呼ばれる考え方が形づくられていった。目を引くのは、同じ観点に立ちながら、バークがイギリスは擁護し、フランスは擁護しなかったことである。彼は変化をひとまとめに退けたのではなく、何がどう変わったのかを見分けていた。保守主義は、あらゆる変化を拒む立場ではなかった。長い時間をかけて積み重なってきた制度や慣習を重んじ、それを守るためにこそ手を入れる。本書は、そこから現代の日本まで、保守主義の軌跡をたどっていく。
リニューアルを企画する側は、しばしば革命の側に立っている。古い画面には継ぎはぎが多く、一から設計し直したほうが筋が通るように見える。だが、その継ぎはぎのまわりにこそ、使う人の手際が積み重なっている。どのボタンがどこにあり、何回押せば用が済むのか。一から設計し直すことは、そうした蓄積をまとめて手放させることでもある。かといって、何も変えずにいれば済むわけでもない。バークにならえば、問うべきは変えるか変えないかではない。何を守るために、どこを変えるかである。
おわりに──守っているものを守ったまま変える
一冊目は、相手にラベルを貼ることが、聞かずに済ませるための手段にもなることを見せていた。二冊目は、熟練が道具や他者との関係のなかに宿り、道具を変えればその熟練がいったん失われることを教えていた。三冊目は、同じ観点から判断を分けたバークを通して、守るためにこそ変えるという考え方を示していた。三冊を重ねると、変化への反発は、待てば消える雑音ではなく、何かが失われることの知らせとして見えてくる。
変化を嫌うユーザーは、何を守っているのか──。守っているのは古い画面そのものではなく、その画面とのあいだで育ててきた自分の手際だ、と筆者は思う。それは仕様書には書かれていないが、使う人と画面とのあいだに確かに積み重なっている。それでも、だから変えるな、ということにはならない。バークがそうだったように、問われるのは変え方である。変える前にそれが何なのかを聞き取り、新しい形のなかへ持ち越せるようにすること。よいリニューアルは、使う人が守っているものを、守ったまま変える。











